そして誰もいなくなった、って、個人的に言葉として良いリズムがあるなーと思っている。
使い道はあんまりないけど、言いやすいというか。
ちょっとネットスラング的な響きがあるんじゃないかなと思ってる。
そんなこの書籍。
あらすじとしては、名探偵コナンや金田一少年の事件簿よろしく、ある老若男女10人が孤島に招待され、部屋に飾られている童謡のとおり、1人また1人と殺害されていく。
先述のコナンや金田一、また著者の故アガサ・クリスティー氏のポアロシリーズのように、その場に探偵役がいれば、途中で容疑者全員の前で推理を披露し、犯人を降伏させてそこで殺人は終わる。
ところが、今作品においては、探偵役となる人物はいない。
そのため、参加者はそれぞれ自衛策を講じるのだが、それも空しく、次々と殺人は続き、最後は生き残った一人も精神的におかしくなり、首をつって自殺してしまう。
つまり、タイトルのとおり、その島には「そして誰もいなくなった」。
連続殺人事件であるため犯人がいるものの、最後まで生き残った2人であるロンバードとヴェラについては、ロンバードがヴェラに射殺され、ヴェラは先述のとおり自殺するため、読者にとっては犯人がわからないまま、全員死亡という幕切れをしたように見える。
ただ最後には、犯人の独白文書という形で、真相が明かされることになる。
こういう物語のキーマンって、「医者」だよね。
被害者が死亡しているかどうかは、医者にしかわからないから、医者が「死んでいる」と断定すれば、誰もその言葉を疑う者はいない。
はい、つまり死んだと思われていた被害者の中に、真犯人がいたっつーことで。
老判事の、ウォークレイヴがこの惨劇を招いた真犯人。
結構意外よね。
ご老人はいつも、狩られる側に回るものだったから。
動機は、前回の書籍レビューの告白と同じ、「私刑」を下すため。
↓前回記事はコチラ↓
この世には、法でさばけない殺人鬼がいるため、その人物に私刑を与えるため。
というのは、後付けの理由であり、実際のところは、判事という職を遂行する内、罪を裁くことよりも、自らが罪を犯したくなった、つまり殺人をしたくなったというもの。
独白文書によれば、幼少期から昆虫の実験等で殺すことには快感を覚えていた一方、正反対の正義感を持ち合わせる性格を所有していた。
これまでは正義感が上回っていたが、それが遂に快楽を求める心が勝ってしまった。
まぁそうでもなきゃ、被害者は全員、間接的に殺人を犯しているとはいえ、9人もの人間を殺害することなどできないよね。
医師のアームストロングも、だまされたとはいえ、この殺人計画を結果的に幇助し、更には殺害され、いいように使われた印象だ。
でもこういう、バトルロイヤルとか、ゼロサムゲームっていうのは、どうして読んでて止まらなくなるんだろう。
他にも、「クリムゾンの迷宮」「インシテミル」「バトル・ロワイヤル」っていう似たテイストの作品はあるけど、どれも面白かった。
この非日常性と、次は誰が死ぬのか?誰が生き残るのか?という生きるか死ぬかのヒリヒリ感が、きっと興奮する理由なんだろうと考えている。
この書籍が発端となったのかはわからないけど、後世にはそのエッセンスが多く残っている気がする(以下別作品のネタバレもあり)。
■かまいたちの夜:犯人が序盤に死んだと思われた被害者
■十角館の殺人:犯人が独白文書を書き海に投げ入れる
最近ミステリー小説ばっかり読んでいる気がする。
ビジネス書も読んだ方がいいのかなー。
ただ、書いてあることが大体同じだから飽きるのよね…。
この記事を読んだ方、オススメがあれば是非ご教示ください。