先日、広島空港近くの八天堂カフェリエに行った。
広島に住んでからもう3年半が経過しており、帰省時には毎回と言っていいほど訪れるこの場所から至近に、広島生まれの大人気パン、「くりーむパン」を作っている八天堂のカフェやパン作り体験ができる場所があったとは。
なんというアンテナの鈍感さ。
パン作り体験自体は、与えられた記事を動物の形にして、チョコレートで顔を書くだけというものだったので、そこまで本格的ではなかったが。
所謂、「一緒に作った時間」が宝物ということで。
まぁ私自身は、次男坊(1歳半)の世話にかかりきりで体験もへったくれもあったもんではなかったけれど。
そこのパン屋に陳列されていた、標記の書籍がやっぱり気になっちゃう。
以前から言っているように、広島に詳しくなろうキャンペーン中だし、この八天堂の歴史を知っておきたかったからね。
八天堂という名前は、現社長の森光氏のご祖父様が営まれていた和菓子屋からもらったものらしい。
当時は和菓子が主流ではあったようだけど、時代の流れから、洋菓子屋やパンに移行していくというのはある程度自然な流れかな。
森光氏は当初から和菓子よりも、パン作りがしたいという明確な意思を持って、事業を始めた模様。
現在こそ「くりーむパン」を主流とするラインナップで成功を収めているのだけれど、開業当初は、奇を衒ったものを作りまくったり、調子に乗って経費で自家用車を購入したり、労働環境を放置した結果、ストライキを起こされた上に、従業員にボッコボコに言われたり、「しくじり先生」バリの大失敗をしたのだとか。
ここで森光氏は、従業員に対して、何か助けられたり、良い働きをしてくれたりしたときには、「ありがとう」と自然に言えるようになったと述懐している。
個人的に、これは本当に大切な気づきだったと思う。
私が大人になってから感じていることで最も大きなことの一つとして、「やってもらって当然という考え方の愚かさ」がある。
これは特に結婚生活で学んだことかな。
一緒に生活していると、「自分のために時間を割いてくれてありがとう」という気持ちが薄れてきてしまう。
自分の気持ちがそうなってしまうと、相手も不愉快になるし、お互いにリスペクトできなくなってしまう。
だから今は、家族にしろ、会社の同僚にしろ、先輩にしろ、後輩にしろ、社外の方に対しても、何かして貰った際には、可能な限り「ありがとう」と礼を言うようにしている。
そうしないと、相手に感謝やリスペクトの気持ちが伝わらない。
私であれば、「礼を言わないということは、やってもらって当然と思っているのだろうな。」と考えてしまう。
だから、相手をリスペクトしていない接し方をしてくる人は論外だ。
ズラタン風に言い換えれば「絶対許さねえよ。」ってな具合かな?笑
皆様もぜひお気を付けくださいませ。
さて、大切な気づきを経験した森光氏は、その後経営を立て直し、「くりーむパン」を開発し、大ヒットへと繋げた。
「くりーむパン」の一転集中するという戦略はリスクもあっただろうが、試行錯誤を重ねてヒットに繋げられたのは、森光氏の情熱あってこそだったのだろう。
来月初旬にまた八天堂カフェリエを訪問できそうな機会がある。
できたての「くりーむパン」をまた食べよう。