大変ご無沙汰しております。
2カ月も間隔を空けてしまった。
仕事が忙しかったりだとか、資格試験の勉強に追われていたりとか、言い訳は色々したいところだけれど…素直に自らのタイムマネジメントができていなかったせいです、ハイ笑
という訳で久しぶりにブログを執筆している中で、今回はこれまで読破した書籍の中でもトップ5に入る面白さであった、「中田英寿 誇り」。
まぁサッカー経験者&趣味がサッカー観戦という、そこそこサッカーに浸かった人間なので、どうしてもサッカー関連の書籍は読みたくなるし、面白いと考えてしまうバイアスはあるかもしれないけどね。
それでもこの書籍は是非皆様にも読んでいただきたい。
その理由は2点あり、まずあの中田英寿という選手が、当時まだ日本人選手が渡欧することが当たり前ではなかった時代に、どうしてあそこまで海外で闘えたのかということが分かる内容となっている。
そしてそれを一言でいうと、彼は凄まじいまでの完璧主義者であるからということだった。
プロ選手が「頑張るのは当たり前」ということは良く耳にするし、実践しているのだろうけれど、中田氏のそれはちょっと度を越している。
練習は100%を通り越して120%130%でやることを自らに課し、公式戦でも練習試合でも試合に臨むスタンスは不変。
練習後には常に基本となる対面パスの練習を欠かさず、居残りシュート練習や筋力トレーニングも厭わない。
これって私達からすると、プロだし、サラリーマンと違って練習時間も限られているのだからそれ位やるべきなのでは?という風に思ってしまうけれど、実際はそんなに簡単なものではない。
毎日の練習や週末の試合で身体は疲労が蓄積しているだろうし、ましてやこの書籍は中田氏が最後にプロ選手として戦った、2006年ドイツワールドカップの裏側に迫ったものである。
シーズンを海外で過ごしてから合流したわけで、コンディション調整も楽ではなかっただろう。
それでも現役中その姿勢を崩すことはなく、常にMAXフルパワーで駆け抜けてきたのは尊敬でしかない。
書籍の中で「俺は1,000㎞を時速50㎞で走るより、時速1,000㎞で50㎞を走りたい」という彼の言葉があった。
この言葉に、彼の性格の全てが表れていると思った。
そしてだからこそ、長期間海外で闘ってこられたのだと思う。
こういう考え方は、きっと生まれつきのものだから、なりたくてなれるものでもないのだろうなぁ。
さてもう1点のおススメする理由は、彼のこれまでの人生の裏側が知れるということ。
移籍市場の裏側、数々のクラブを渡り歩いた彼の苦悩、先述の彼の性格を更に裏付けるエピソード、トルシエ監督との関係など、彼のプレーをよく観てきた世代であれば、面白い話が目白押しだ。
何よりも興味深かったのは、2006年ドイツワールドカップの真実。
ドイツワールドカップの時の日本代表は、かなり期待されていたと思う。
中田氏に加え、高原選手(現沖縄SV)・中村俊輔選手(現横浜FC)・小野伸二選手(現FC琉球)・中澤佑二氏らが揃っており、かつてよりも戦力が充実しているという見方だったから。
直前の強豪ドイツ代表との親善試合でも2-2の引き分けを演じていたわけだし。
けど大会では、1分2敗のグループリーグ敗退。
初戦のオーストラリア戦の敗戦は衝撃的だった。
高校サッカー部同期みんなで観戦していたから尚更笑
個々の力はかつてないほどあったにもかかわらず、どうしてあんな結果に終わってしまったのか。
その背景が詳細に書かれていた。
一言でいうと、よく言われる「チームが一枚岩になっていなかった」というやつかな。
書籍を読むと、誰が悪いわけでもなく、チーム全員に問題があったようにも見えた。
ただあえて言うなら、当時のジーコ監督は、もっと何かできることがあったんじゃないかと。
特に中田氏と他のチームメイトの目指すサッカーの相違が最後まで埋まっていなかったようだから、それは監督が目指す方向性を示して基本的な考え方を整理すべきだったと思うし、本番の試合でも選手交代で後手を踏んでチームを窮地に陥らせてしまった。
でも読んでいて本当に衝撃だったよ。
あんなにチームがバラバラだったとは…。
やっぱりサッカーは難しいよね。
11人の意思疎通が大切になるんだから。
完璧主義者であり、最後までチームメイトと目指すサッカーについての溝を埋められなかった中田氏は、著書の中でこう言っていた。
「これまでサッカーをやってきてわかったこと。俺にチームスポーツは向いていない」
インタビュアーの人も突っ込んでいたけど、この書籍を読んだ人なら誰もが同じ突込みをしたことだろう。
何をいまさらと笑
でもそんな性格の中田氏が、後進世代の道を切り拓いたわけだから、あなたはサッカーをやっていてよかったのだと思うよ。